やけくそに人を信じる

小学校時代の気づき

小学校の高学年の頃、どうして周りの人は、誰も自分のことを信じてくれないんだろう・・・って 思ってた。 話しかけても、すぐ会話が終わってしまうし。全然打ち解けない。仲が良いとも思えない。

自分が信じていなかった

でも、気づいた。あれ、自分が信じてないんではないかと。確かに、自分が相手のことを怖がったり、疑っていたような気がする。人が話していることは、自分とは関係ないことのように思っていた。自分のことをわかってくれないとも。 そう、自分が信じていなかった。自分のことばかり考えていた。



人をやけくそに信じてみよう

その気づきから、「人をやけくそに信じてみよう。裏切られたって良いじゃないか。自分が少し傷つくだけなんだから。」と考えるようになった。人と話す時に、今までは、そんなこと言って本当かよ。知らないし。という聴き方だったと思う。でも、人を信じると決めてからは、聴いた話は全部本当のことだと思って聴く。全部一回自分の中に吸収する。そんなイメージだった。はじめはビクビクしていた。でも信じて自分から話しかけたし、相手が言っていることは、そうなんだ〜と 全部信じて聴いた。段々と、相手が話す量も増えて、話しかけてくれる人も増えてきた。これをやるようなってから、人といるのが楽しくなった。相手も自分に多く話してくれるようになった。信じてくれるようになった。小学校の高学年で気がつき、中学から少しずつ実践。高校の時には、そのかかわり方が自然にできるようになっていた。高校からは友達がたくさんできた。教室を出たら違うクラスの人も、たくさん話しかけてくれるようになった。

むしろ、優しかった

それを自然とできる人もいると思う。でも自分は、気づいて、やけくそに行動に移してみた。その時に覚悟して、行動を変えて本当によかった。怖かったけど、やけくそに人を信じてみたら、全然怖くなかった。むしろ、優しかった。

伝えたいこと

小学校の頃、自分は父親が怖かった。いつも叱られて、叩かれて、毎日泣いていた。小学校高学年の頃は、父親と少し距離ができていた頃だった。そのおかげで、気づきを行動に移せたのかもしれない。人を信じることは、とっても怖いことだと思う。傷つくこともあるし。でも、信じてみたら裏切られることの方が少なかった。むしろ、こっちが信じた方が、傷つくことも、裏切られることもなかった。怖い一歩かもしれないけど、挑戦してもらいたい。

 

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